長崎地方裁判所佐世保支部 昭和36年(ワ)23号 判決 1966年8月16日
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
一、当事者双方の申立
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金一四万円とこれに対する昭和三一年四月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求め、予備的請求として「被告は原告に対し昭和四三年六月二三日金一四万円を支払え。右期限に支払がないときは、右金員とこれに対する同年六月二四日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求めた。
被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求めた。
二、原告の請求原因
原告訴訟代理人は、請求の原因として次のとおり陳述した。
(一)、原告は、昭和二八年六月二三日被告所有の佐世保市相生町四七番地の一家屋番号同町四八番の二所在相生市場の建物の一部(店舗)を、期間の定めなく家賃月額七、〇〇〇円、月末支払の約定で被告と賃貸借契約を締結し、同年八月上旬右店舗において電機器具販売店を開いたのであるが、右賃貸借契約を結ぶに際し、被告より事業資金として金一五万円の借用方申込があり、双方協議の結果、昭和四三年六月二三日を一応の返済期限とはするが、期限前であつても、原告が賃借店舗を閉鎖して被告に引渡したときに貸金の返還を受けることを特約し、原告は昭和二八年六月二三日金一五万円を無利息で被告に貸与した。昭和二九年一一月ごろ、原告の賃借部分に移動変更があり、同年一二月二九日貸金内入として被告より一万円の返済を受けた。原告は都合により昭和三〇年一二月二五日賃借店舗を閉鎖し、翌三一年三月末日には賃貸借契約を合意解除して右店舗を被告に引渡したから、前記特約に従い被告は原告に対し貸金残額一四万円を返還すべき義務があるにかかわらず、被告は支払に応じない。よつて右残額とこれに対する履行期翌日である同年四月一日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(二)、返済期限に関する前記特約が認められないとしても、昭和四三年六月二三日に貸金返済の履行期が到来することは明白であり、しかも被告は右一五万円を権利金なりと抗争してその返還義務を否定するので、将来履行期が到来しても支払を受けられないおそれがある。よつて、昭和四三年六月二三日に貸金残額一四万円の返還を命ずる旨の将来給付の判決を求める。
(三)、被告は金一五万円を権利金として受領したというが、原告は貸金として被告に交付したものであつて、借用証書上も貸金と表示されており、原告は権利金としてならば被告に金員を交付する意思など全くなかつた。したがつて、もし右金員の性質が権利金だとするなら、右金員授受に関する契約には要素の錯誤が存し無効である。よつて被告に対し、無効の契約に基づいて交付した金一四万円の返還を求める。
(四)、被告が本件一五万円を権利金として受取つたとするなら、権利金として交付する意思のなかつた原告は、被告の詐欺によつて金銭授受の契約をしたことになるから、昭和四〇年五月七日の本件口頭弁論期日においてその意思表示を取消した。よつて被告に対し、すでに交付した金一四万円の返還を求める。
(五)、本件一五万円が貸金でないとすれば、店舗賃貸借契約が終了したときに滞納家賃がなければ返還してもらう趣旨の、いわゆる敷金として交付したものである。そして原告は、被告との賃貸借契約を合意解除して賃借店舗を被告に引渡した昭和三一年三月末現在何ら滞納家賃はなかつたから、被告に対し敷金残額一四万円の返還を求める。
(六)、本件一五万円が被告のいうような権利金だとしても、右は賃借期間一五年間の賃借権利代償金である。そして原告は賃借店舗に入居したのが昭和二八年八月五日、被告に店舗を引渡したのが昭和三一年三月末であるから、賃借店舗使用期間は三二ヵ月であり、一五年から右使用期間を差し引いた一四八ヵ月に相当する権利金一一五、一一一円を被告は原告に対して返還すべきである。
(七)、原告の主張に反する被告の答弁事実は全部否認する。
三、被告の答弁、抗弁
被告訴訟代理人は次のとおり陳述した。
(一)、被告が相生市場建物の所有者であつて、昭和二八年六月二三日その一部(店舗)を原告主張の約定のもとに原告に賃貸したこと、右同日原告から金一五万円を受領したこと、原告主張の年月日に被告が原告に金一万円を支払つたことは、いずれも争わない。
(二)、右一五万円が貸金であるとの原告の主張は否認する。これは賃貸店舗の場所的利益の対価、いわゆる権利金の性質を有するものであり、被告はその経営する相生市場内のすべての店舗の賃借人に対して、このような権利金を徴収している。昭和二五年七月一一日地代家賃統制令が一部改正され、市場内の店舗については権利金を受領しても差支えないことになつたのであるが、被告は法令に通ぜず、権利金の授受が法律上禁止されているものと誤解して、実質上は権利金だが契約書面上は権利金の文字を使用することを避け、一定の金員を返済期限を一五年後、その間無利息とする消費貸借の形式をとつて、各賃借人から店舗の位置、坪数に応じてそれぞれ権利金を受領したのである。原告から交付を受けた一五万円も右の趣旨であり、原告もこれが権利金であることを承知して授受がなされたから、形式的な契約証書上の返済期限にかかわらず、返済すべきものではない。なお、被告が原告に一万円を返済したのは、原告主張のような借受金の返済としてではなく、店舗の移動によつて原告の賃借新店舗が旧店舗に比して面積が狭くなつたため、徴収ずみの権利金のうち一四万円を新店舗に対する権利金とすることに原・被告間に諒解が成立したので、差額の一万円を原告に返還したのである。
(三)、仮りに右が理由がないとしても、本件賃貸借契約においては、賃借人が契約条項に違反して債務不履行があつた場合には賃貸人は直ちに契約を解除することができ、この場合賃借人は、貸付金名義の権利金返還請求権を喪失する旨約している。原告は昭和二八年八月旧店舗に入居してその賃料は月額七、〇〇〇円であり、昭和三〇年二月新店舗に移転してからは賃料月額三、〇〇〇円とする定めであつたが、常に賃料の支払を滞りがちで、延滞額合計九万円に達したため、被告は昭和三一年七月一四日賃料債務不履行を理由に原告との賃貸借契約を解除した。したがつて原告は、被告に対する金一四万円の貸付金名義の権利金の返還請求権を失つたものであり、本訴請求は理由がない。
(四)、もし、原告の請求する金一四万円が、敷金である等その他の理由によつて被告に返還義務があるとするならば、被告は原告に対して有する右滞納賃料債権九万円をもつて本訴(昭和三七年九月一四日の口頭弁論期日)において対等額で相殺の意思表示をする。よつて被告には原告の請求に応ずる義務はない。
(五)、その他の原告主張事実はすべて否認する。
四、立証(省略)
理由
一、昭和二八年六月二三日ごろ、原告と被告市場間に、原告主張の約定のもとに店舗の賃貸借契約が成立し、その際原告より金一五万円が被告市場に交付されたことは、当事者間に争いがない。
二、右金員が権利金であるか否かが争われているので考えるに、成立に争いのない甲第二号証、証人沢田茂樹の証言により真正に成立したと認められる乙第六号証、被告市場代表者本人尋問(第一回)の結果により成立を認めうる乙第七ないし第一〇号証、証人池田季佳、沢田茂樹、三浦正利、藤松義雄(第一、二回)の各証言並びに原告本人尋問(第一回)の結果(後記措信しない部分を除く)を綜合すると、
(イ)、被告市場の開店当時は、いわゆる朝鮮動乱の後で佐世保市内は活況を呈しており、被告市場の店舗賃借には七〇数名の申込希望者中四二名しか賃借を認められなかつたほど競争が激しく、申込者らは賃料以外の金員を支出してでも店舗を得たいと希望する情勢にあつた。
(ロ)、各賃借人より被告市場に交付した金員は、賃借店舗の広狭、市場内における店舗の位置の良否等によつて一〇万円から三〇万円ぐらいの差等があり、一率または同額でなかつた。
(ハ)、開店後の昭和二九年一一月ごろ、被告市場と賃借人らとの協議によつて店舗場所の移動が行われ、その結果原告の新店舗は旧店舗より坪数が減少したため、同年一二月二九日被告市場はさきに原告より受領していた金一五万円のうち金一万円を原告に返還(この点は当事者間に争いがない)し、原告も右事実を了承してこれを受領した。
(ニ)、市場開店当初の賃借人のうちには、被告市場の承諾をえて賃借店舗を他に譲渡した者が数名いたが、いずれも譲受人から権利金等の名目で相当額の対価を得ており、被告市場に対しては賃借当初に交付した金員の返還を求めていない。
(ホ)、原告も、店舗賃借権を訴外北輝雄に有償譲渡しようとした事実をそれぞれ認めることができる。
以上の諸事実に徴すると、原告ら賃借人が被告市場に交付した金員を金銭消費貸借契約に基づく貸金または敷金と解することは相当でなく、右は公衆市場内の店舗として有する特殊の場所的利益の対価として支払われた、いわゆる権利金というべきである。
もつとも、甲第一、二号証、乙第一、二号証には右金員を金銭消費貸借契約による借受金と記載してあるが、前記池田証人、藤松証人(第一、二回)の各証言によると、当時の被告市場代表取締役藤松義雄は、賃貸借契約締結に際して各賃借人より権利金を徴収すべく、その旨の案文を含めた契約書の原案を作つて弁護士に提示、相談したところ、当時地代家賃統制令が改正されて店舗の賃貸借には権利金の授受が許されていたにかかわらず、相談を受けた弁護士はなお権利金の授受は禁止されているものと考え、権利金の名称を使用しないで長期、無利息の金銭消費貸借契約の形式をとるよう指示し、藤松は右指示にしたがい、実際は返還義務のない権利金として徴収するものを、契約書の文言上では、各賃借人に対し一率に弁済期限を貸付日より一五年、その間無利息とする金銭消費貸借契約に基づく借受金と表現し、また権利金を受領した際右同内容の借用証を作成して各賃借人に交付したことを認めることができる。したがつて、前掲書証の記載をもつては前記判断を左右できないし、また前記認定に反する証人小田原友雄、折田直介(第一ないし第三回)、松尾一郎(第一、二回)の各証言および原告本人尋問(第一回)の結果は前掲各証拠と対比してただちに採ることができない。
そうだとすると、本件金員が被告市場に対する貸金または敷金であることを前提とする原告の主張はいずれも失当というべきである。
三、次に、原告の要素の錯誤および詐欺の主張について考えるに、前項(イ)ないし(ホ)に認定した諸事実にしたがえば、原告は被告市場に交付した本件金員が、その実質において権利金であることを暗黙に了知していたものと認めるのが相当である。ことに前項(ハ)の事実はその証左である。けだし、本件金員が原告主張のような貸金であるならば、借主が長期限無利息という極めて有利な借受条件をなげうつて、期限内に借受金の一部でも返済するということは特別の事情のない限り考えがたいのみならず、その返済が、店舗坪数の減少というおよそ金銭消費貸借とは無関係な原因によつてなされ、原告もこれを了承している事実に鑑みるとき、原告は右一万円の返済が貸金の一部返済でないこと、従つてまた店舗坪数減少による権利金の一部返還であることを当然了知していたと推知すべきだからである。金員受領の趣旨において右認定に反する甲第二号証の記載は甲第一号証と符節を合わせるためと認められるから右認定を動かすに足りないし、原告の主張にそう原告本人尋問(第一回)の結果はただちに措信しがたい。
そうだとすると、本件金員を権利金と知らないで被告市場に交付したことを前提とする原告の右各主張は、いずれも排斥を免れない。
四、次に原告は、本件金員が権利金であつても、賃借期間の途中で賃貸借が終了したから、残存期間に相当する権利金の返還を請求すると主張するのであるが、当裁判所は本件の場合これを消極に解する。けだし、本件の権利金は、市場内における店舗として有する場所的利益に対する対価であつて、賃料としての性質を包含していないから、賃貸借期間が定められている場合であつても、その期間に相当する対価とはいいがたいのみならず、本件賃貸借が期間の定めのないものであることについては当事者間に争いがなく、したがつて残存賃貸借期間に応じた按分を考えることができないからである。
原告は、前示甲第一号証記載の昭和四三年六月二三日(賃貸借成立の日より一五年)をもつて本件権利金一五万円に相当する賃借期限としているが、すでに述べたとおり、実質は返還義務のない権利金であるものを同号証では権利金の名称を避けて金銭消費貸借の形式をとつたもので、消費貸借とする以上は弁済期の定めを要するところから一五年という長期の返済期日を記載しただけで、右期日は実体上何らの意味をもたないものというべく、権利金の返還期日を定めたのでないことはもちろん、原告のいうような金一五万円の権利金に相当する賃借期限を意味するものとも解しがたい。したがつて、原告の主張はその理由がないというべきである。
なお、前示のとおり賃借期間中であつても他の賃借人がしたごとく店舗賃借権を有償で譲渡し、投下資本を回収する方途があつたのであるから(原告も賃借権を譲渡しようとしたことはさきに認定したとおりである)、本件の場合、権利金の返還を否定しても原告にとり甚だしく酷に失するとはいえないであろう。
五、以上の次第であるから原告の請求はいずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。